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    気仙沼
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       3月10、11日と、宮城県は気仙沼市にお邪魔してきました。

      メンバーはポリゴン太さんとあいりちゃんの3人で。
      目的は、お世話になっている方が気仙沼でカフェをオープンさせたというのでご挨拶、そこで飯を食ってくる。それと先月のAX公演で集めた募金を直接お届けする。

      それぐらいで、さして大義名分もなくて。

      とは言え、3人とも自分自身で見聞きしたい。

      それが野次馬的好奇心なのかなんなのか、わからないけど、とにかく見ておきたい。
      そんな想いがありました。

      現地について目の当たりにした光景、というより空気はやはり現場でしか感じないものでした。これは去年5月に南三陸町にお邪魔した際も感じたんだけど。


      で、夜になって腹も減ってきて、せっかくだから街の特産物を食いまくろう!
      よいうことで、港のすぐそばに出来た「復興屋台 気仙沼横町」へ。


      IMG_1159.JPG

      気仙沼横町リンク

      ここでやたら美味いホルモンをこんな感じで〜


      IMG_1160.JPG
      IMG_1163.JPGIMG_1161.JPG
      IMG_1169.jpgIMG_1177.JPG

      しこたま食い散らかした。

      あまりにも美味くて、3人にで15人前は食った。

      その後同じく屋台村にショットバーがあるのを発見。
      覗きに行ってみると中から若い兄ちゃん達が手招きしている。

      店に入ってみるとちょうどテキーラショットをかますタイミングだった。

      地元のみなさんにテキーラをガッチリ飲まされてたところで軽く自己紹介。
      若い兄ちゃん達2人は聞けば俺たちと同じ30代なかばだった。

      ひとりは地元の漁師さん。
      もうひとりは車のカスタムパーツ屋さん。

      その2人から地元の美味い海鮮の話しをたっぷり聞いた。
      ガキの頃から食いまくった最高の海の幸。特にマンボー漁の話しは傑作だった。

      そうして夜も酒も深まった頃、漁師の兄ちゃん達がこう言った。


      「でも、あの時ばかりは海が憎かった。」
      「憎いな。」
      「本当に憎かった。」



      「1年か。」







      今回ここでの話しをこうしてブログに書くか迷った。
      俺はジャーナリストでもなければプロの物書きでもない。
      だから自分の中だけでとどめとこうと思った。

      でも、この兄ちゃん達に沢山のひとに伝えてくれ、と言われ書いてみようかと。


      正直、この文章を読んだところでほとんど伝わってないと思ってほしい。
      俺の文章の上手い下手にかかわらず。

      それは、百聞は一見に如かず。

      この一言に尽きる。


      これは凄惨な話しです。


      上手く文章で伝えられる自信がないので、とりあえず印象に残る話しを箇条書きにします。





      津波のあと気仙沼市を襲った火災。
      ニュースでも見た事あるあの火の海。


      車屋さんの兄ちゃんはその火の海の中にいたそうです。
      自身の2人の子供と一緒に。
      火に囲まれどんどん迫る火の手。もう死ぬなと思った。確実にそう思った。
      でも、なんとかなんねえかなと思った。

      でも、焼け死ぬなと。だから、せめて子供達は苦しまねえように自分の手で死なそうと思った。


      救助されたあと、3日間飲まず食わず。
      大人は良い。ガマン出来る。子供になんとか食わせたい。でないと死んじまう。
      そこに救援物資を届けにヘリが来た。でも、フランスパン二斤と水二本。
      避難所には400人。
      なんとか子供たちにペットボトルのふたに一杯の水。それで生きた。



      漁師の兄ちゃん。

      目の前で沢山人が流されていった。
      なんも言えねえ。だいじょぶか?も出ねえ。目の前で沢山の人が流されて行く。
      ただ、立ち尽くしているだけ。

      近くにいたおじさんは「助けてー」と流されるひとに手でこうした。(バッテン)
      助ければ自分が死んじまう。何も出来なかった。



      ふたりの話し。

      引き波で流される人たちは人の形をしていない。
      みんなバラバラ。

      脚はぐりぐりにねじれてもげている。
      手とか、上半身だけとか沢山流れていく。

      漁師の場合は漁師のツナギ着てるからまだわかる。
      でも、それでも体の一部。原型はない。

      あれ、でも、みんな溺死じゃねえんだってよ。
      砂が一瞬で肺をいっぱいにしちまうんだって。
      だから砂が入って一瞬らしい。

      水が引いたあとはそんな遺体がそこら中にあった。
      電線の上にもいっぱいひっかかってる。
      今飲んでるここも一杯あったよ。


      友達は歩道橋の上に上半身だけひっかかっていた。


      脚が悪いお年寄りを助けに行ってそのまま連れていかれちまった。

      あれは人じゃねえ。
      パーツだ。
      でも、誰かのもとに還るまでは人間なんだよな。



      なんで行っちまったんだろう、、、?
      行っちまったな、、、。



      時おり2人ともしばらくカウンターやコップの中を見つめる。



      漁師の兄ちゃん

      本当がんばったよ。
      てか、がんばってる。
      むちゃくちゃがんばってる。負けてられっか。東北人の意地見せてやる。

      車屋さんの兄ちゃん

      ああ、がんばてる。負けてらんねえ。


      でも、俺、子供達いなかったら自殺してたと思うわ。


      漁師の兄ちゃん

      ああ、俺も家族いなかったらしてると思うわ。


      ふたり


      なんだかんだで漁師で自営でそこそこ良い暮らししてた。
      でも、なんもなくなっちまって、それでも生きてきゃなんねえ。

      なりふりかまわず、がんばった。
      ビルの清掃やったり、免許がないけどダンプも運転した。

      生きていかなきゃな。



      一緒にいた仲間のおじさんが一言。


      「こいつ(車屋さん)は相方亡くしてんだ。」


      相方とは奥さんだろうか。それとも同僚だろうか。
      聞けなかった。


      漁師の兄ちゃん
      避難所にずっといようか迷った。出て、仮設に行けば光熱費は全部自分持ちだ。
      そんなのやってけねえ。(金銭面で)

      でも、がんばるしかねえ。
      マッジで気仙沼の、東北の意地魅せてやっから。



      車屋さんの兄ちゃん
      そういや、水が出た時これんじゃヤベえって言われてよ。
      放射能がヤバいって。

      漁師の兄ちゃん
      そうそう。俺ら原発爆発したの3日ぐらい知らなかったしな。

      車屋さんの兄ちゃん
      でも、そんなの言われても飲むしかなかったしな。
      子供に飲ませちゃいけねえ、言われたし思ったけど、でも、
      飲ませねえと死んじまうんだもん。

      もし、放射能の水飲んでヤバくなっても数年後か、、、
      でも、あの時は飲ませなきゃ明日には死んじまう。
      どうせ死んじまうなら、、、、、。

      本当生きるか死ぬか。
      あの時は金なんてただの紙切れ。本当に。
      それよりも食いもんだったり飲みもんだったり。

      魚肉ソーセージってあるでしょ?
      あれ、近所の婆ちゃんが800円で買ってきたっつってマジまいった。


      漁師の兄ちゃん

      頼みがあんだけどな。(俺らに)

      沢山義援金集まってるけど、凄くありがたいけど、とりあえず俺たちの手にはほとんど来てないんだ。だから俺たちが今けっこう良い暮らししてんじゃねえか?なんて思わないで欲しい。
      本当いっぱいいっぱい。なんかTVじゃ色々集まってるいうからなんか申し訳ねえっつーか。


      俺:そんなんみんな全っ然思ってないっすよ。本当に。でも、どこへ行ってるんだろう?って疑問はみんなあると思うけど、、、、。


      ふたり

      本当、TVはほとんど映してねえからな。
      流せねえよ。 
      みんなカメラむけられるとつい良いこと言っちまうんだよな。
      なんか悪い気がすんのかな。

      でも、助けたくても助けらんねえよな〜。

      俺、もし東京とかどっかわかんねえけど、今みたいに大変なことあったら行くよ。
      ぜってぇ行くよ。今こんだけ応援してもらってるし。

      でも、おめえすぐには動けねえべ?
      状況がわからん。

      気持ちはあるべ?
      あるよ!

      でも、どうしたら良いかわからんよな、、、。

      それと一緒だべ。


      俺たち

      ああ、それ、俺らも凄いもどかしかった。
      TV観たら燃えてるし、すっげえことになっちゃてるし、、、
      なんかしたいけど、何出来るんだろう?って、、、


      ふたり

      やっぱそうなんだよな〜。



      1年か。

      本当、がんばらねえとな。がんばってスゲエくなった気仙沼魅せてやる。





      突然漁師の兄ちゃんがまっすぐ俺たちを見て

      これっきりってのは無しにしてくれよ。
      また来てくれよ。
      2年後3年後でも良い。

      復活した気仙沼に来てくれよ。


      俺たちも、もちろんっすよ!と。
      つーかそんなに先にしませんよ!
      まずはマンボウ食いに来ねえと!


      漁師の兄ちゃん
      プ〜カプ〜カ(マンボウのマネ)

      一同爆笑





      と、こんな感じで話した。時に聞いていた。
      とにかく、話していて悲しくなるとか恐ろしくなるとか、そういうのもあるけど、とにかく胸がつまった。ハンパなくつまった。

      途中、あいりちゃんは耐え切れず外に出て、小屋の裏で号泣してしまっていた。
      あまりにも現実すぎたらしい。

      俺も色々な感情がごちゃ混ぜになった。
      こんなにも凄惨な話しを、同じ世代から聞くのものなんだかうまく言えないけど本当に強烈だった。



      とにかく、長文乱文だけど今思い出せる内容をつづってみました。


      でも、あくまでこれは俺経由のテキストで。

      当たり前だけど、やっぱり目の前で生き抜いてる方達と会話するのでは感じるもは別物だと思う。なんか、これすらうまく言えないけど。

      きっと彼らも1年目を前にして、初めてお互い胸の内を話し、また聞かせてくれたって感じだった。よそモンの俺らに、しかも何するわけでもなく飯食いに来たぐらいの俺らに「来てくれてありがとう。」

      と、言ってもらえたのは本当、なんか救われた。
      やっぱ、正直どこか後ろめたかったのも確かだと思うし。



      今、被災地と呼ばれる地に足を踏み入れるには何かしら大義名分が必要な、そんな感じが多少なりともあると思う。
      でも、あの兄ちゃん達も言ってたけど、別にそんなのいらないと。





      とにかく、来て、見て欲しい。
      俺たちはがんばっているんだと。




      今なら頭数ちょっとあって車で行けば全然格安で行けるよ。
      東京からなら500キロくらいだ。
      時間はのんびり行って7時間半って感じかな。

      良い街ですよ。
      気仙沼。

      何より食い物がやたら美味い!そして安い!
      これだけでも充分足を運ぶ価値アリまくりってもんすよ。


      みなさんも、行けるならぜひぜひに。



      追伸
      この後も地元の先輩が交じり爆笑しまくったりして過して、さて帰ろうかとなり、改めて挨拶を交わしたら、なんと車屋さんの兄ちゃんはポリゴン太さんの超知合いの知合いで、2月には彼の作品を拝んでいたことが判明!

      さらには、趣味のバイクで俺の地元のレース場にはしょっちゅう遊び来てたことも!

      まあ、本当、御縁って不思議かつ素敵なもんだなと思いました。

      いや〜、ぶったまげた。



      | - | 05:40 | comments(8) | trackbacks(0) | pookmark |
      MJ FANS CONVENTION 2012
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        2012年3月3日。

        もうぼちぼち春が近いことを感じさせる本日の陽気中でこれを書いている。
        書く事ありすぎて、どお書いて良いのかよくわからないから、とりあえず
        書きやすい主観でつづろうかな。

        一週間前。
        SHIBUYA-AXで2日間にわたって行ったイベント。

        MJ-spirit Presents MJ FANS CONVENTION 2012 Past,Present And Future

        前の晩から冷たい雨が降っていた。


        その雨は、まるでうれし涙なんだといわんばかりに、両日とも関係者、来場者、みんながそれぞれに楽しかった!と言える素晴らしい大成功を収めた。

        そして、極彩色に彩られたそれぞれの愛が織りあって出来た極上のラブストーリーが生まれた。


        約8年前、MJ-spiritを観て俺は恋におちた。

        その2年後。
        オフブロードウェイからやってきたトクシックオーディオというグループの来日公演で、俺は彼らとステージに立った。

        それが初めてのSHIBUYA-AXだった。
        大きくて一体感もある。なんて良い場所だろう。
        いつか、この会場で、沢山の人たちにMJ-spiritを魅せたい。

        そんな衝動に駆られるも、現実はとても大きな壁が沢山立ちはだかっていた。
        諦めかけたことも何度もあったし、現にあきらめたこともあった。


        けど、内心虎視眈々と機会が訪れるのを望み、祈った。

        そうして2010年5月22日土曜日。

        MJ-spiritと、多くの人たちの手で念願のSHIBUYA-AXを迎えることが出来た。





        それから1年が過ぎた頃、再演のお話しをいただいた。


        それが今回の2日間に渡って行った公演。



        本当に素晴らしかった。

        この公演に関わる方たちは、エンターテイメント界の超一流のクリエイターさんから、それこそ主婦や会社員と一般の方までが一丸となって未知の領域へと進んでいった。

        マイケルへの愛のために。
        自分自身の変化のために。
        何かを変えるために。
        制作者も来場者も。


        それぞれが色々な想いでこのMJ AIRという浪漫飛行に搭乗してるんだけど、その遥かな雲海の先にはマイケル・ジャクソンというひとが常にいました。



        マイケル・ジャクソンはこの惑星で未来永劫輝き続けるスーパースターだ。



        5年前、最初で最後にお会いしたマイケル・ジャクソンというひとは
        どこにでもいる普通のひとだった。

        ほんの数分と一言二言の会話だけど、少なくとも俺はそう感じた。
        当たり前のことだけど、スーパースターもみんなと同じ人類のメンバーなわけで。



        そんなマイケル・ジャクソンというひとりのひとが、50年という年月をかけ完成させようと想い描いた夢を、こうしてプロもアマチュアも年齢も性別も関係なくみなそれぞの想いをよせ、情熱をそそぎひたむきに描いた軌跡。




        それが、この『MJ FANS CONVENTION 2012 Past,Present And Future』


        だから、このフライトは、まるで極上のラブストーリーのようだなと。





        今回、この体験を多くの人たちと共有出来たことは、本当に素晴らしい経験でした。
        また、この公演にいたるまでの全ての御縁に感謝でございます。




        これからも、MJ-spirit、そして、自分自身もまた、この極彩色の世界の中で、右往左往しながら、引続き冒険していけたらと思います。



        大感謝!多謝!Thank you!






        Make that change. Think different.

        | - | 15:00 | comments(4) | trackbacks(0) | pookmark |
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